☆【武蔵野美術大学80周年記念事業を象徴するシンボルマーク】
武蔵野美術大学創立80周年記念サイト
☆【武蔵野美術大学80周年記念フォーラム】
『世界美術大学学長サミット・国際デザインシンポジウム』(朝日新聞採録)が全文掲載!
新聞紙面PDFは以下のサイトで公開されています。
☆【美しいヴィジュアルでたどる武蔵野美術大学の80年の足跡】
武蔵野美術大学のあゆみ1929-2009
編者:武蔵野美術大学80周年記念誌編集委員会
☆『武蔵野美術大学・大学案内』 2009年度版――武蔵野美術大学
武蔵野美術大学のオフィシャルガイド。巻頭特集では、創立80周年にちなみ、武蔵美で学んだ
9名の作家やデザイナー等が、学生時代の体験を通して「武蔵美とは?」を語る。
<沿革>
昭和 4(1929)年 | 帝国美術学校創設 |
(北多摩郡武蔵野町吉祥寺) | |
昭和22(1947)年 | 造型美術学園と校名変更 |
昭和23(1948)年 | 武蔵野美術学校と校名変更 |
昭和32(1957)年 | 学校法人武蔵野美術学校認可 |
武蔵野美術短期大学設置 | |
昭和34(1959)年 | 短期大学通信教育部開設 |
昭和36(1961)年 | 鷹の台校(現鷹の台キャンパス)開設 |
昭和37(1962)年 | 武蔵野美術大学設置、造形学部開設 |
昭和44(1969)年 | 鷹の台キャンパスに全学統合 |
武蔵野美術学園開設 | |
昭和48(1973)年 | 大学院造形研究科(修士課程)を開設 |
昭和63(1988)年 | 武蔵野美術短期大学を武蔵野美術大学短期大学部に名称変更 |
平成11(1999)年 | 短期大学部学生募集停止 |
平成14(2002)年 | 造形学部通信教育課程開設 |
平成15(2003)年 | 武蔵野美術大学短期大学部廃止 |
平成16(2004)年 | 大学院造形研究科に博士後期課程設置 |
武蔵野美術大学の教育理念
80年に至る歩みと21世紀の展開を見据えて
真に人間的自由に達するために
1929(昭和4)年10月1日、帝国美術学校は吉祥寺の地に創立された。
その建学の精神は、金原省吾の手記に「教養を有する美術家養成」と記され、また名取堯の回想に「その框を固定せず、しかも放縦に任せず、真に人間的自由に達するような美術教育への願い」であると語られている。
1930(昭和5)年の校歌では北原白秋が「道に遊ばむ」、「堪へて忍ばむ」、「外へ矜らむ」と謳った。このように、美術を技術的専門性だけではなく、総合的な人間形成をもって成るものと考えた。
まさに人間的自由に達するために美術・デザインを追求することこそが、本学の教育理念と言えるのである。
建学の精神は、20世紀の激動の歩みの中でも追求され続けてきた。帝国美術学校は、幅広い美術と教養を修得することで専門性を磨いていく教育課程を樹立し、多くの卒業生を送り出した。
戦後、1946(昭和21)年の造型美術学園、1948(昭和23)年の武蔵野美術学校、1957(昭和32)年の武蔵野美術短期大学、1962(昭和37)年の武蔵野美術大学造形学部と続く流れは、時代のなかの建学の精神の顕現と言える。
さらに美術・デザインが多様に広がりつつある21世紀においても、本学は新しい試みを展開し続けている。
2002年度に開設された造形学部通信教育課程は、総合課程と4学科9コースの専門課程を備えて生涯教育時代の専門教育を志向している。2003年度からスタートした新教育課程は学科横断的な選択制により専門性を形成する基本を培うものである。また2004年度からの大学院博士後期課程は本学の従来の基盤に立ってさらに突出した人物の育成を目指している。また、多摩アカデミックコンソーシアム(TAC)参加大学や早稲田大学との単位互換や、世界各国に及ぶ8校の協定校とうち4校との交換留学生制度は、世界と地域に開かれた広がりをしめすものである。
さらに 2004年には通信教育課程教室をはじめとした積極的な展開を目指して新宿サテライトを設置した。また、産官学共同研究の推進ため、研究支援センターを置いた。さらに2004年から6年間にわたる建築計画が開始され、2007年の12,000平米のアトリエ棟の竣工や、美術資料図書館の拡充をはじめとした抜本的な施設拡充を推進している。
武蔵野美術大学は、真に人間的自由に達するための模索をさらに続け、たゆまざる展開をすすめるものである。